ユネスコによると、地球上では14日ごとにひとつの言語が消滅していると推定されており、それはつまり、その言語でしか表現できない概念やアイデアの世界も共に失われていることになります。消滅の危機に瀕している言語のほとんどは、先住民族の社会に属している言語です。
こうした言語を消滅から救うツールとして注目を集めているのが、AIによる言語処理です。しかし、これらの技術は主に西洋の言語やその文化的価値観、世界観に基づいて開発されたものであり、保存しようとする言語を再び植民地化するリスクもあります。
Jon Corbett氏は、ネヒヤウ・メティス先住民族のコンピュテーショナルメディアアーティスト兼コンピュータープログラマーであり、カナダのコロンビア州サイモンフレーザー大学のインタラクティブアート&テクノロジー学部の助教授でもあります。
Corbett氏は、彼の家族の言語と文化が、世代が代わるごとに次第に失われていく様子を目の当たりにしてきました。「父方の祖母はクリー族とサルトー族の血を引いていましたが、祖母はその言語を封印し、私たちの家族に先住民族の血が流れていることを伝えようとはしませんでした」と彼は述べています。
こういった話はCorbett氏の家族に限ったことではありません。カナダの歴史には、文化や言語とのつながりを断ち切る強制的な家族分離を含む、数世紀にわたる先住民族への抑圧が刻まれています。
「カナダの国勢調査から、先住民族の文化や言語が長年にわたって排斥されてきた事実をたどることができます」とCorbett氏は述べています。
Corbett氏は、自分のためにクリー語を甦らせたいと思っていました。そこで彼は、自分の得意なこと、つまりプログラミングに着目したのです。
Corbett氏は10歳の頃からコンピュータープログラミングに親しんできました。クリー語でプログラミング言語を作ることで、祖先の言語を速く習得できると考えました。ところが、ネヒヤウ語(プレーンズ地域のクリー語)の研究を始めると、コンピューター理論と先住民族の知識の間には、多くの概念を単純に移行できない壁があることに気づきました。
「私が授業で最初にした質問は、クリー語で“コンピューター”を何と言うの?でした」と彼は語っています。「そうなんです。私たちの言語には、コンピューターという言葉は存在しなかったんです」。
しかしそれ以上に、Corbett氏はプログラミングには西洋的な構造が詰まっているため、それをクリー語にそのまま置き換えることはできないことが分かったのです。
「ループや条件文など、プログラミングでよく使う構文が欠落しているのです」と彼は語っています。「変数を置き換える必要があります。数学を置き換える必要もあります。しかし、こうしたコンポーネントがクリー語には存在しません。もしA==BならCを実行する、というセンテンスを組み立てる言語ロジックがなかった場合、どうやってプログラムを書けばよいのでしょうか?」
現在のAIモデルでは先住民族の言語対応が困難なのは当然です。クリー語のような言語は多義的で、1つの単語に主語、目的語、および文法的ニュアンスをシームレスに融合させて、相手に伝えるための文や文節全体を表現します。Corbett氏は、このような融合は英語では不合理のように映るかもしれませんが、クリー語では豊かな文脈層が言語構造を構成しているため成り立っているのだ、と説明しています。
「クリー語を含め、ほとんどの先住民族の言語は、極めて描写的かつ詩的です。それらを直訳すると単語にはならず、何が起こっているかという状況説明が必要になります。私たちが英語で言葉やコードを組み立てるやり方とは全く違うのです」と彼は語っています。
驚くべきことに、ChatGPTに現代語をさまざまな先住民族の言語に翻訳させると、魔法のように言葉が並び、画面が埋め尽くされます。しかしそれは擬似的で、正しくない訳文であることがほとんどです。
この問題の一端は、言語的構造と、コンピューターやプログラミング言語における文化的文脈が欠如していることにあります。しかし、AIの性能はそのデータセットによって決まるということも事実です。AIは利用可能なデータの質と量に大きく依存しており、先住民族の言語、特に話者が一握りしかいない言語に関するデータは決して多くありません。
10万人以上の話者がいるクリー語でさえ、そのデータには偏見や固定観念、非倫理的な慣習に影響された問題が多く見られます。
残念なことに、研究者がインフォームドコンセントなしに先住民族のデータを入手したり、慣習を無視したり、コミュニティの利益を優先しなかった長い歴史があります。
これらの課題により、Corbett氏には新しいアプローチが必要でした。
Corbett氏は、過去7年間にわたりCree#に取り組んできました。Cree#とは、クリー語の概念とメタファー(※)を使用して、Creeキーワードでプログラミングできる言語です。
※メタファー…抽象的な物事や言語を、より具体的でわかりやすい他の表現に置き換えたり見立てたりすること。
先祖伝来の言語をコードに変換する際に直面する課題が増えるにつれて、彼はますます野心的に探求するようになっていきました。最終的には、先住民族のコンピューティングフレームワーク、つまりハードウェアとソフトウェア設計のための先住民族の概念の枠組みを作り始めました。
「コンピューティングとプログラミング言語の哲学には、別の視点が必要だと思います。私は文化的な観点からアプローチし、そのギャップや“コンピューティング”の概念を、先住民族の考え方で埋め合わせたいと考えています」とCorbett氏は語っています。
ハードウェアに対して彼が手始めに取り組んだのは、クリー語のキーボードを作ることでした。まずレイアウトから始めました」と彼は述べています。その作業中に自問自答しました。「なぜQWERTYキーボードを使おうとするのか?クリー語には相応しくない。英語にだって向いていないはず!」
Corbett氏は、最新版でクリー語の音節星図表にヒントを得た円形キーボードのデザインにたどり着きました。クリー語の音節表記法(音節ごとに異なる音を表す文字を使ってクリー語を書き表す方法)は、四方位に神聖な象徴が埋め込まれた星形の図を使って教えられることが多いのです。
地図上の方角は、一般に信じられていることに反して普遍的なものではありません。Corbett氏は、北を上とする考え方は、欧州の植民地拡大から始まった西欧の慣習だと説明しています。その考え方に科学的根拠はありません。
クリー族の星図表では、北の方角は上ではなく下向きです。Corbett氏のPCB(プリント基板)設計は、この文化的知見を反映しています。マイクロプロセッサーは基板の左側に配置されており、これは東を示しています。東は太陽が昇る方角であり、彼の文化では知識の通路とされています。キーボードの回路は時計回りに配置されており、彼の民族が儀式で入場する際にロッジを一周するしきたりを反映しています。
「私は、デジタルとアナログの両方のコミュニケーションの論理レベルに至るまで考慮して、これらのアイデアをすべて組み込んだ文字列を創りました」とCorbett氏は述べています。「私はこれに、自分の文化に対する理解を盛り込み、「コンピューターとは何か」を翻訳するための言語がない状態で、どのように現代のデジタルコンテキストの中で活用できるかを考えました」。
Corbett氏は、プログラミングが若者の心を捉え、先祖の言語を受け入れる助けになることを願っています。しかし、彼はまだ自分の子どもたちや、より大きなコミュニティを説得できていないと語ります。
「コンピューターと共に成長する機会が周囲の環境になかったり、コンピューターに触れたことがないコミュニティの高齢者からは、少なからず抵抗があります」と同氏は述べています。「彼らは、コンピューターと自分たちの文化との関連性を見いだせず、自分たちの貢献に対して懐疑的で、疲労感を抱いています。その一因として、北米の先住民族にとって、彼らの言語や文化が抑圧されてきたため、テクノロジーとその可能性に対して懐疑的であることが挙げられます。さらに、彼らはコンピューティングとテクノロジーの負の側面も理解しています。私たちはあまりにもデバイスに依存し、画面にのめり込んでいて、そこから離れられなくなっているのです」。
Corbett氏は、テクノロジーが言語を活性化させるためには、先住民族が主導し、先住民族が発想する、先住民族に主権があるプロジェクトが不可欠だと考えています。
「言語がしっかりと保護された形で保存されることが大切です」と彼は述べています。「そこにはコミュニティのメンバー以外の人々と共有することを意図していない知識もあるのですから」。
Corbett氏の取り組みがもたらした予期せぬ結果の1つが、プログラミングには彼の文化を保護する能力が備わっているということです。「コーディング環境をカプセル化することで、ソースコード(言語と文化)にアクセスできる人だけが、元の形式でコードを読むことができます」と彼は説明しています。外部の人は、その背後にある実際の言語に触れることなく、出力結果だけを見ることができます。
時の流れと共に言語が消滅していく世界にあって、Corbett氏は彼の伝統的な言語に力を与え、保護するための新しいアプローチを模索しているのです。
「私のような取り組みは、他の人々が自分たちの民族言語にアクセスし、使えるようにするためのプラットフォームを提供するのに大いに役立つと考えています」と彼は述べています。「そのように使われることを心から願っています」。
アートワーク:Chris Connolly(クリス・コノリー)
著者: Ronni Shendar
※Western Digital BLOG 記事( JULY 25, 2023)を翻訳して掲載しています。原文はこちらから。