2023年12月22日
セーブポイントとメモリーカード:ゲーム用データストレージの歴史

ゲームセンターに置かれたスペースインベーダーのマシンで、最初のハイスコアが記録されて以来、ゲームの進行状況を表したスコアの保存機能は、ハイスコアを目指す人々にとって、ビデオゲームの重要機能として評価されてきました。休憩をとるときも、リスクをとってテクニックに挑戦するときも、ゲーム機の内部で常にスコアを記録し続けるデータストレージは、ゲーマーのために存在していました。

ところで、このデータストレージ業界は、80年代のバッテリー駆動式カートリッジから今日のSSDに至るまで、どのように進歩してきたのでしょうか? キロバイトからテラバイトまで、ゲームにおけるデータストレージの歴史をたどると、市場規模だけでなく、開発者の野心やプレイヤーの想像力の観点からも、データストレージがビデオゲーム産業の成長のカギを握る原動力であったことが見えてきます。

ゲームセンターとアマチュア・プログラマー

当初、ゲームセンターに設置されていたゲームは、すべてオーダーメイドでした。誕生したばかりのゲーム業界では、すべてのゲームが店舗やプレイヤーの希望に合わせて、ゼロから作られていました。The Museum of Art and Digital Entertainment (The MADE)の創設者であるAlex Handy氏によると、ゲームはそれが構築されたハードウェアと連動して進化してきたということです。

「これらのゲームのデータとロジックはROMチップに入っていました。マシンの中には、CPUがないものもあり、単なるマイクロプロセッサの寄せ集めだったマシンもありました」とHandy氏は述べています。

実際には、ゲームを動作させるだけでも大変な仕事であり、多大な犠牲を伴いました。

「これらのマシンの中には、電源を切るとハイスコアが消えてしまうものもありました」とHandyは語っています。この状況は、やがて活況を呈してきたゲームセンター業界にバッテリー駆動のデータストレージが登場することで大きな変化を遂げることになりますが、電源コンセントを抜いてしまうとスコアが消えてしまう初期のゲーム機では、プレイヤーが獲得したハイスコアが、幻の伝説となってしまうこともありました。

自宅のガレージや寝室で開発を行っている世界中のアマチュア・プログラマーたちはこの頃、ゲームセンター業界の目覚ましい成長に触発されて、PC用のゲームを作りカセットやフロッピーディスクに保存し始めました。これらの中には、ゲームセンターで人気のゲームを再現したものもありましたが、家内工業から生まれたオリジナルデザインのゲームも多数登場しました。

フロッピーディスクは比較的安価で入手しやすかったため、この業界の成長に貢献しました。ゲームは騒々しいゲームセンターや酒場の一角だけのものではありませんでした。悩みを忘れるための気晴らしとして役に立つ面もありました。そしてこの後、ゲームのデータを保存し、メールで配信できるようになったことで、業界に絶好のチャンスが生まれたのです。

セーブしますか?

ゲーム業界が1983年のアタリショック(※)から脱出すると、任天堂はいくつかの斬新なアプローチで市場を揺さぶる地位を確立しました。この日本の玩具メーカーは、汎用のフロッピーディスクを使用する代わりに、独自のカートリッジを採用したニンテンドー・エンターテインメント・システムとしても知られるゲーム機を開発しました。いわゆるファミコン(ファミリーコンピューター)です。

※アタリショック…市場の飽和による主に米国を中心とした不況のこと。北米では「Video game crash of 1983」と呼ばれる。

この変化が業界に与えた大きな影響のひとつは、クラッシュの原因となっていた海賊版を排除したことでした。同時に小規模開発者にとっては、ゲームを開発して世に出すことが極めて困難になりました。一方で、もうひとつの大きな影響はデータストレージ技術に関するものでした。

「任天堂がカートリッジ方式を採用した理由は、カートリッジの容量が十分に大きくなり、しかも安価になったので、優れたゲームを世に出せるようになったから」とHandy氏は語っています。このカートリッジはバッテリーにも対応していたため、コンソールの電源が落ちてもデータを保存することができたのです」。

「これが“ゼルダの伝説”への道を開きました」と彼は語っています。

「ゼルダの伝説」は、ゲーム史に名を残す世界的な名作ですが、カートリッジにゲームをセーブする機能についてはあまり知られていません。「ウィザードリィ」や「ウルティマ」といったPC向けのゲームにもセーブ機能が実装されていましたが、それを大衆にもたらし、想像力をかき立てたのは「ゼルダの伝説」でした。

「Atari 2600は、画面の中で3つの要素を動かすことができますが、任天堂はスプライトを画面上に描画して背景全体を動かすことができます。“ゼルダの伝説”は、極めて映画的な手法で次の画面を表示します」とHandyは説明しています。「技術が進歩しているからこそ、ストーリーもさらに良くなったのです」。

これは、ゲームとデータストレージとの関係の核心を突いています。技術が向上するにつれて、開発者はさらに広がりのある継続したストーリーを制作できるようになりました。こうした体験はプレイヤーを喜ばせ、これらの仮想世界が拡大することを望むようになりました。その期待に応えるために、ゲームはさらに広大な世界を保持できる大容量のデータストレージが必要になりました。それ以来、ゲームとそれをサポートするツールとの共生関係が始まったのです。

CD、メモリーカード、そして内蔵ドライブ

このようなデータストレージとゲーム規模の関係は、世代を超えて進化する原動力となりました。16ビットゲーム機は大容量を誇っていましたが、最終的にはCDやメモリーカードに置き換わりました。ゲーム機メーカーはこれらのスペックをマーケティングの武器にしましたが、大容量化はゲームを真の芸術メディアの高みへと押し上げました。

「CDは方程式を完全に変えました。1ドル数セントで製造することができることから、開発コストの概念を変えました」とHandy氏はCDメディアへの移行について語りました。「これで、ここにMIDIサンプルを保存できるようになり、アクターやグリーンスクリーンを使用できるようになりました。いまや伝説のゲームともいわれる“MYST”は、CDでこんなことができるのか、と人々を驚かせたゲームでした」。

安価なCDとムーアの法則によるコスト削減のおかげもあって、この業界は時間の経過とともにゲーム専用のデータストレージを冷遇するようになりました。第7世代のゲーム機以降、ゲーム機メーカーはデータストレージメーカーのハードドライブを使用するようになり、2つの業界の関係は親密度が増していきました。現在では、ゲーム機メーカーはデータストレージパートナーと協業して、ゲーム機がプレイヤーや開発者の期待に確実に応えるようにしています。

将来のためにセーブする

ゲームのサブスクリプションサービス、そして最終的にはクラウドゲームの台頭により、データストレージ業界は、ゲームメーカーや開発者がいまどのようなストレージ技術を利用することが可能かを理解してもらうよう、懸命に努力しています。

ガレージでフロッピーディスクを焼いていた時代から、長い道のりを歩んで来たこの業界をさらに前進させるには、コラボレーションが鍵を握ります。連携して作業することで、開発者はデータセンターでは何が現実的なのか、あるいはより多くのプレイヤーが高速SSDにアクセスできるようにする方法などを、よりよく理解することができます。一方でウエスタンデジタルのような企業は、ゲームパートナーの目標や願望を理解することで、同社のゲームブランド「WD_BLACK」のように、ゲームプレイをパワーアップさせるためのイノベーションを生み出すことが出来るのです。

※文中イラスト:Chris Connolly

著者: Thomas Ebrahimi
※Western Digital BLOG 記事(SEPTEMBER 12, 2023)を翻訳して掲載しています。原文はこちら

戻る